こんにちは!Yukiです。
シンガポールから10年越しの夢を叶えてニュージーランドへ移住した過程をお届けしています。
冬まっさかりのニュージーランド、風邪の 負の連鎖 がおこっていた我が家ですが、ようやく春の兆し笑 が見えてきて、おかげさまでみんな元気になってきました!
良かったーー!!! やっぱり体が元気じゃないと心も萎えるもんね。
さて今日は、振り返りの日第2段ということで、前回日本〜シンガポールへ移住したバックストーリーのその後、シンガポールからニュージーランドに移住するまでを振り返ってみるよ!
前回の、日本〜シンガポール編まだみてないよーって方はこちらを見てみてね!
ではいってみよ!!
シンガポールで過ごした20年
日本語教師になるため資格をとって『海外就職』を探したとき、わたしに3つの『選択肢』があった。
- シンガポールで日本語教師
- メキシコシティーで日本語教師
- ニュージーランドでワーホリ
このなかで、わたしが 第一希望だったのどれかわかる????
それは、、、、、
2.メキシコシティー!!!!! 笑
なんでかって?
理由はただひとつ!!!!
日本と全然違っておもしろそうだから!!!!
ニュージーランドは 日本語教師の仕事を日本にいながら確保することが難しくって『ワーホリ』っていうチョイスしかなかったから優先度が低かった。。
このときのわたしは たった1年しかいれないワーホリではなくて、『海外就職』をしたかったの!!!
そして、シンガポール???
アジアの小国。
マーライオン?
おもしろくなさそーー!!!!
アジアっていう時点で却下。
日本から遠ければ遠いほど嬉しかった笑
だから、絶対メキシコシティーにいくぞ!!!っておもってたの。
で、その話を、カナダ留学時代にお世話になったホストマザーにしたのね。
そしたらマザーが
『絶対やめなさい!!!!』
といってきた!!!
彼女のお友達がメキシコシティーに住んでるけど、危険な場所で、どこ行くのも車で行かないとだめだし、自由に外歩き回れないよ!!!って言われたの。
えー!!!!!!
メキシコシティってそんな危険なん!!!
危険な場所には行きたくないわ
ころっと決意をひるがえし、
ニュージーランドVSシンガポール でちょっと迷いつつ、ひとまずシンガポールの面接いってみよ!!!
って応募したら
あれよあれよというまに採用決定!!!
流れにまかせてシンガポール行きが確定したのです。
当時ね、シンガポールは今ほど栄えてなくって、ほんと、マーライオンぐらいしか知ってるものはなかったかなぁ。
唯一許せた笑 のは 英語圏 ということ。
シングリッシュとはいえ、シンガポールの人はほんっとみんな英語達者だよー!!!
アジアだし (欧米がよかった)
日本から近いし (日本からなるべく遠いところへ行きたかった)
たいしておもしろくなさそうだけど、(もっと日本と全然違うところがよかった)
でも 憧れの 『初海外就職』
そんな感じのテンションでやってきたシンガポール
当時はね、5年ぐらい住んだら、絶対欧米に移動しようっておもってたの。
だってカナダ留学のイメージが強いわたしは、海外=欧米社会!!っておもってたからさ。
でもね、シンガポールで過ごした20年は本当に貴重な20年になったんだよ。
日本語教師の仕事
海外就職のために、『日本語教師』のしごとを選んだわたし。
初海外就職
初教師
すべてが 初 で それはそれは 大変タフな2年 を過ごした 笑
日本語教師ってさ、学校で 『教え方』を教えてもらうんだけど、実際に 『教えた』ことないんだよね笑
なのに、就職1日目からもう『日本語教師』として授業を担当させられるの。
まぁ、あたりまえっちゃーあたりまえなんだけど 笑
当時のわたしは
『私が授業? どうやって教えるん???』
右も左もわからないまま、12人位いる生徒の日本語レッスンを3時間!!
足震えるわ!!!!
もちろん 初級の生徒なので、 『英語』で説明!!
ほんっとーに最初の最初のレッスンは、それはもう はちゃめちゃ だったなぁ。
わたしのはちゃめちゃな説明に あたまに ???? 並べてる生徒たち。。。
ごめんなさい。。。私のせいで 『日本語ってむずかしい』って思わせたかもね。
でね、そんなはちゃめちゃな時期をどうやってのりこえたかたっていうと そこにいたのは
仲間の存在
わたしとおなじように、日本からやってきた若き精鋭たち!!!
かれらと切磋琢磨しながら、なんとかかんとか毎回の授業のレッスンをくみたて、教材をつくり、励まし合い、たくさん泣いてたくさん遊んだ。
彼らがいなかったら私はのりこえられなかったなぁ、きっと。
そしてね、もう一つ私を救ってくれたもの、 それは、、、、
生徒の存在
シンガポールの生徒ってね、ほんとに ピュアで真面目でやさしいの。
こんなはちゃめちゃなわたしにも ついてきてくれ、頼りにしてくれ、慕ってくれた。
教師の仕事はね、2年でやめたから、一生の仕事 にはならなかったんだけど、わたしがこれまでやってきたどんな仕事よりも Rewarding = やりがいのある仕事 だったなぁっておもう。
だってね、教師って、一生生徒にとっては 『教師』 なんだよ。たとえもう教えてなくてもね。
いつ会っても 『先生』ってよんでもらえて、ずっと彼らの『先生』でありつづけるの。
これってすごいことじゃない? 一生だよ一生!!!
自分が誰かの思い出の一部に一生い続けられる仕事ってすごいよね!!!
そして、いつもたくさんの 『ありがとう』をもらった。
『仕事』で教えているだけなのに、めっちゃ感謝されるの。
当時はそれが不思議でしかたなかった。
たくさんプレゼントもらったりみんなに優しくしてもらったり。
あれ?
わたしは 海外にいきたくてこの仕事を選んで、お給料もらって教えているだけなのに、なんでこんなにみんなから感謝されてプレゼントまでもらえるん!? ってね。
決して楽な仕事ではなかったけど、この2年でわたしが学んだことは、
一生懸命没頭すること、そして人を喜ばすこと(いい授業をすること)。
当時のわたしが あぁ、今日も良いレッスンができてよかった!って思えたのはどんなレッスンだったかというと
生徒がたくさん笑ってくれたレッスン
逆に、授業後めっちゃ落ち込むレッスンはどんなんだったかというと
生徒が全然笑ってくれなかったレッスン
指標は、『笑い』 ただそれだけ!!! 笑
笑ってくれて楽しんでくれたたらわたしもめっちゃうれしい。
楽しませられなかったらわたしの準備不足。
先生というより自分は人を笑わせる『芸人』のように考えてたかも〜。
『何を教えるか』よりも、いかに生徒を 『楽しませるか』 そんなことばっかり考えてたなぁ。
これって、今考えたらどんなことにも通用するよね。 楽しむって大事!!!
楽しければ、たいがいのことはOKなんだよ。
転職、そして永住権
2年たって、そろそろ別のことをしてみたいとおもって転職した。
まったく違う業界で働いてみたい!とおもって、旅行会社へ転職。
そこで、6年働き、その間に シンガポールの永住権も取得!!
永住権は、申請当時、すでに5年ほどシンガポールで働いていたのでさくっととれたよ。
その頃の心境はこんなかんじ。
シンガポールに永住する気はない
早く欧米諸国へ移動したい
永住権はわたしのアイデンティティー
『永住権』っていうとさ、まるでその国に永住するつもりでとるものって思われるかもだけど、当時のわたしは あいかわらず 『いつか欧米諸国へいくんだ』って思ってて全くシンガポールに永住する気はなかったの。
でもね。
VISAってじぶんのその国でのIdentityなんだよ。
労働VISAだと、雇われてる会社で雇われなくなったらなくなってしまう。
こんなにこの国で働いて、暮らしているのに、会社にわたしの立場を左右されてしまう。
そんな不安定感がいやで、自分のこの国でIdentityを確立したくって永住権を申請した。
そして無事永住権も取得したわたしは、その後いろんな仕事を経験したよ!!!
Yukiのシンガポールでのキャリア
日本語教師2年
旅行会社 6年半
自営業でペットシッター 2年
レストランでデザート作り 2年
大手日系銀行員 5年半
(最後があまりにも異業種で笑える!!)
みごとに全部 業界が違う!!! 笑
興味が あっちこっちへとんで、新しいことにトライするのが好き
このマインドはね、今思うとやっぱり シンガポールに来る前に、カナダの恩師にいわれた
『やってみないとわからないよね』 っていう教えの影響が大きいのかなっておもう〜
なんでもちょっと興味がでたら、よし、やってみよ!!!って おもうの。
でね、そんな わたしが 自分の興味のおもむくままにホップジャンプで生きてこれたのは、やっぱり 日本社会からでてシンガポールという国で自由にのびのびすごせたおかげ かなっておもってる。
誰もジャッジしない
否定しない
固定観念がない
人は人
そんな社会で自由に自分を開放できたわたしは、とてもラッキーだったし、すべては25のときにもがき苦しんで日本をとびだしたおかげ。
ちゃんともがき苦しんで出口をみつけてよかった。
だからね、もし今 自分のいる場所が 自由にのびのびと自分を開放できる場所ではなかったとしたら、もしなにかまわりに合わせたり、人の目を気にしなきゃいけないような場所だったら 生きる場所をかえたほうがいい。
そしたら10年後の自分はもっともっと心地よく生きられるよ。
そしてニュージーランドへ
そうやって 当初5年の予定が、あまりの居心地の良さに20年も過ごすこととなったシンガポール。
たくさんのキャリアを経験し、友人にも恵まれた。
もちろんここで夫とも出会い人生のすべてを捧げてもいい息子も授かった。
すべては シンガポールという国がわたしにくれたプレゼント
本当に本当に感謝!!!!
そして、10年後の自分たちがもっともっと心地よく過ごすために、わたしたちは 最高に居心地の良いシンガポール生活をすてて、ニュージーランドへ移住することにした。
なんでそんなことができるかって?
わたしにはみえてるんだよ。
10年後に、必ず 『ここにきてよかったね、あのとき決断してよかったね』って言ってる私たちの姿が。
今の決断は、未来のわたしたちをかならず救ってくれるの!!
だから前だけむいていく。
なんでもほら、やってみないとわからないからね!!!!
わたしのバックストーリー、ふりかえりにつきあってくれてありがとう!!
今日もお読みいただきありがとうございました♡
ひとは今この瞬間から変わることできる♥
みんなで大満足な人生を生きよう♫