ニュージーランドへ移住しよう!ーひとは住む場所を選び人生を自由にデザインすることができるー

シンガポールからニュージーランドへ移住を目指す家族のブログ

『ニュージーランド移住120日目 振り返りの日』

 

 

こんにちは!Yukiです。

シンガポールから10年越しの夢を叶えてニュージーランドへ移住した過程をお届けしています。

 

今日は、ニュージーランドへ到着して 120日目 !!

 

大好きなニュージーランドで今日も生活できている毎日に感謝!!

 

今日はね、このブログを読んでくださっている方に、わたしのバックストーリーを お話させてもらおうと思います!!

 

移住120日目に自分の振り返りもかねて。。。

 

どうして わたしが日本からシンガポールに移住したのか

どうして わたしがシンガポールからニュージーランドへ移住したのか

どうして 日本じゃなくて海外なのか

 

もし 興味があったら読みすすめてみてね!!!

 

 

Yukiのバックストーリー

わたし、Yukiは 日本、大阪の出身で4歳上の姉と二人姉妹!

高校生の頃から、海外生活に憧れてて、授業で好きなのは音楽と英語!!

 

高校卒業後、4歳上の姉を追いかけて、外国語短大へ進学。

大好きな英語を使って外国人留学生との国際交流に憧れるも、田舎の校舎で留学生がいなくてがっかりする。。。

 

在学中、初のハワイ1ヶ月短期留学!!!! 初海外!!

 

ハワイののんびりと時間がスローに流れる場所で、『こんなところで暮らしたらばかになる!」と真剣に思って帰国 笑 (←今思えば、多分ハワイはわたしには向いてなかった!)

 

短大卒業後、『就職』することがしっくりこなくて、留学目指してフリーターに。

1年のフリーター生活で資金を得て、念願のカナダ・モントリオールへ語学留学!!

 

ちなみにカナダを選んだ理由は、アメリカより安くて英語がきれいだから

そしてモントリオールを選んだ理由は、日本人があまりいなさそうだったから

 

この頃から、他の人とちょっと違うことや場所を選択するのが好きだった。 笑

 

ちなみに当時オーストラリアやニュージーランドにはまったく注目してなくって、選択肢にもはいってなかった〜 笑

 

この頃はネットもまだなくて、学校や留学の情報は本のみ!!!

 

『地球の歩き方』の留学バージョンから、学校の情報をみて、行きたい学校をきめて、入学申請は国際郵便で申請。。。 そんな時代 笑

 

今考えたらすごいなー!!! 今ならネット一つでできちゃうもんね。

 

学校の申請も、VISAの申請も、ぜんぶ自分ひとりでやったよ。

 

そしていざ念願のカナダへ!!!

ついに留学出発当日。

お友達が空港まで見送りにきてくれて、飛行機搭乗するときは、ワクワク!

 

でね、そのときの航路が、 

 

大阪→ロサンゼルス→モントリオールっていうルートだったの。

 

で、ロスで乗り換えるんだけど、ロスの空港にはじめてひとりで降り立ったわたしは もう 

 

迷子  笑

 

 

だってロスの空港ってめっちゃでかいんだよーーー!!!

 

で、そこで乗り換えせなあかんのやけど、いったいぜんたいどこにいったらいいか まったくわからないの!!!

 

で、なんとか係の人に連れられて、乗り換えのカウンターまでたどりついたのはいいんだけど そこでトラブル発生!!!

 

何やら アメリカ人の係員が、英語でまくしたててるけど 

 

何言ってるかまったくわからん

 

当時のわたしの英語力は ほんとうに 典型的な日本人英語力で、

 

文法はできるけど会話力ゼロ

 

なにゆってるかわからーーーん!!!って困ってたら、女神の救世主があらわれたの!!!

 

一緒のフライトだった 日本人女性がなんと『英語の先生』で 私をふくめた同じように

『なにゆってるかわからーん!』状態の日本人数名をまとめてくれて、状況説明をしてくれた!!! 神!!! 

 

どうやら、わたしたちが乗る予定だったフライトは 機体トラブルが発生したから出発予定時刻がだいぶ遅くなる ということだったの。

 

そして あわてて つたない英語でカナダの学校へ公衆電話から電話をして、到着が遅れることを伝えたんだ。

 

そしてだいぶ遅れて 無事 カナダに到着。

 

その後 6ヶ月の予定だった留学期間を1ヶ月延長して、7ヶ月 カナダのモントリオールで生活した。

 

この7ヶ月の留学経験が 私の人生を大きく変えた と今振り返るとはっきり思う〜

 

当時は、毎日遭遇する新しい発見や、新しい場所に 感動 の毎日。

 

人種の違うクラスメート

優しいホストファミリー

庭でみるアライグマ

ディスカッション中心の英語レッスン

全然おもろしくないTVコマーシャル

ランチタイムに裸で日光浴をするカナダ人

はじめていったカジノ

安い映画館 (当時$5とかで映画がみれた!! めっちゃ安い!!)

 

他にもきっとたくさんたくさん感動ポイントがあって、これまで日本では見たことがない、経験したことがないことを 5感ですべて毎日感じ取ってすっごく充実した7ヶ月 を過ごしたの。

 

このときの経験が きっと今の私をつくってるなぁ。

 

 

ほんとうに、10代や20代の 感じ取る力が大きいときに、海外で他の文化にふれる っていう経験は言葉でいいつくせないぐらいのメリットがある!!

 

その後の人生が大きくかわること間違いなし!!!

 

 

混沌とした時期

 

本当に人生でいちばん輝いてたんじゃないかと思うカナダ留学をおえて、なくなく日本に帰国したわたし。

 

海外でたくさんの異文化にふれて、『まずは日本で仕事がしたい!そしていつかまた海外暮らしたい!』と意気揚々とかえってきた。

 

そんな気持ちをくんでくれ雇ってくれた社長のもとで、輸出入貿易のしごとに3年間従事したよ。

人にも環境にも恵まれ充実したOL生活。

 

その間も、なんとか英語のつながりをもとうと国際交流会館にいってみたり、フランス語を学んでみたりしながら、どうやったらまた海外でくらせるかをずっと考え続けた。

 

働きだして2年がすぎたころから、だんだん だんだん 苦しくなってきた。

 

息ができない感じの苦しさ。

 

もちろん、本当に息ができないわけじゃなくって、でもこのままじゃ 溺れてしまう感覚

 

当時、どこへいっても いつかは海外へいきたい、海外で暮らしたい と公言していたのは、自分の決意がふきとばされないように、消し去られないように、埋もれないようにするため。

 

何から自分が埋もれるのか? 

 

『日本』という固定観念ががっちりかたまった『社会』から。

 

 

『僕もむかしはそう思ってたよ』

 

『なかなか難しいよね−』

 

『また夢みたいなこといって』

 

わたしの 『海外で暮らしたい』という純粋な夢にたいして、こんな声ばっかりまわりから聞こえてきて、若干20代前半のわたしにはそれに対抗できるうまい言葉もみつからなくって、心の中で『私は絶対実現させるんだ!!昔話にはしないんだ!!!』ってずーっと叫びつづけた。

 

でも目の前の現実は、、、、

 

海外へいく糸口がみえない。

 

いったいいつになったら海外へ行けるんだろう。

 

どうやって行ったらいいんだろう。

 

 

気持ちだけが先走って、出口がみえない迷路みたいなところをぐるぐるぐるぐる。

 

このときが一番人生で 迷ってた 時期 だったかもしれない。

 

そんなとき、4歳年上の姉が、モントリオールへワーキングホリデーに行ったのをきっかけに、気分転換にモントリオールを再訪、そしてこれがまた私の転機となった!!!

 

 

ふたたびカナダへ

 

ふたたびカナダ、モントリオールを訪れた。

 

当時、姉のエクスチェンジパートナーだったDanと出会う (今は姉の夫♥)

 

Danに、あって数秒後ぐらいに言われたことばがわたしには衝撃だった。

 

 

『今の仕事は一生やっていく仕事?』

 

 

な、なに、この究極の質問!!! 出会って数秒のカナダ人になぜこんなディープな質問をされるん!!!???

 

日本では聞かれたことのない質問!!!

 

答えにつまるわたし。

 

そんなわたしをたたみつぶすように、さらなる衝撃の一言!!!

 

 

『心の声に従ったほうがいいよー!!!』 Listen to you heart!!!

 

 

 り、リッスン トゥ マイ ハート・・・??

 

ど、どういう意味やろ。

 

でもなんかめっちゃ大事なこと言われた気がする。。。。

 

 

当時のわたしはそんな感じで彼の超ポジティブなエネルギーに圧倒された。

 

そして、留学時代お世話になった 学校の先生たちに再会!!! 

 

当時とかわらず暖かく迎えてくれた。

 

そして、先生の顔を見たとたん、つまっていた心のもやもやをいっきにはきだした。

 

 

海外で暮らしたい!

海外で仕事がしたい!

でもどうしたらいいか全然わからない!!

このままどんどん時間だけが過ぎていく気がする。。。

 

すると 先生は 

 

『日本語教師になったらいいんじゃない?』

 

わたし 『え?教師? 無理無理〜人前で話すの苦手だし。。。』

 

先生 『やったことあるの?』

 

わたし 『いや、ないけど、、、』

 

先生 『やってもないのになんで無理ってわかるの?』

 

わたし 『 。。。。』

 

 

やったことないなぁ、たしかに。

 

じゃあ無理かどうかはわからんなぁ、たしかに。

 

 

そして翌日、

 

『この学校で 日本語教師になれる資格がとれるわよ!連絡してみて!』

 

と、あるアメリカの学校の情報をくれた。

 

 

感動した

 

 

先生は、わたしが 『海外で働きたい』っていう気持ちをまっすぐうけとめて、応援してくれた。

 

『難しいよね−』

 

とか

 

『夢みたいなこといって』

 

って言われなかった。

 

 

こんな世界があるなんて

 

自分がやりたいことを言っても 否定やジャッジをされず、応援してくれる世界

 

日本では、同じことを言っても かえってくるまわりの反応は真逆だった。

 

無理でしょ、できないでしょ、難しいよね、から入る世界。

 

だからずっと苦しかった。 

 

自分らしさを保つことにエネルギーをつかう場所。

 

でも一歩外に出ると、こんなにも違う世界があるんだ!!!

 

わたしは やっぱりこんな世界で生きていきたいんだ

 

そう心に強く誓って、日本へかえった。

 

迷路で迷い続けてたわたしに、光の出口がみえた瞬間!!

 

日本語教師としてシンガポールへ

 

そして、日本へ帰ってからのわたしの行動は おそろしく早かった!!

 

日本語教師として海外へいくために、学校を探して、

働きながら夜に週2で学校へ通い半年で卒業!!

 

シンガポールでの求人に応募、現地で面接、採用というスピードで、

カナダへの再訪から1年以内にシンガポールへの移住を果たした!!!

 

今考えたら、やっぱりあの2度目のカナダがすべての転機だったなぁ。

 

一度すすむべき道がみえたらあとはやるだけ!!

 

このときわたしが学んだこと

 

  1. 自分のやりたいことをやりたいと大声で言っても受けいれられる社会がある
  2. やったことないことは 本当にむいてるかどうかやるまでわからない
  3. だからとりあえずやってみることが大事
  4. 一歩踏み出すとその先に思いもよらなかった無数の選択肢が広がる

 

長くなったので、今日はここまで!

次回は、シンガポールでの20年と〜ニュージーランドへくるまでを振り返ります!

 

今日もお読みいただきありがとうございました。

 

ひとは住む場所を選び自分の人生をデザインできる
ひとは今この瞬間から変わることできる
みんなで大満足な人生を生きよう♫